ブログ|白狸のなんでも相談屋さん

オフィシャルブログ

カウンセリングやヒプノセラピーの使命

悩みを聞くのは同じ
でもアプローチに大きな違いがある

カウンセリングでよく使う手法の来談者中心療法
いわゆる傾聴

ただひたすら傾聴
相談者本人が気づきを得るまで傾聴

悩みに軽い重いはないけれど、心が元気な人には有効
でもなぜか、カウンセラーも相談者も自己満足の世界にいるとしか思えない

傾聴だけじゃ足りないんだと私の心の中では告げている
気づきを促せることが大切なんだと

最初は傾聴が大切
信頼関係(ラポール)を気づく上でも、事情を把握する上でもとても大切
でもいつまでも傾聴だけでは前に進むことに時間がかかりすぎる
カウンセリングを受けいている間、苦しみ続けることになる

傾聴は初歩の初歩
カウンセラーにとって苦手とかいうレベレでは許されないほど基本
来談者中心療法だけのカウンセリングは一時、苦しみから逃れるだけのような気がしてならない
相談者が諦めるか飽きるまで施術を受けていつの間にかおわり
そんな気がする

カウンセリングは必要な気づきを得てもらえように誘導する技術が必須だと思う
この技術がないとカウンセラーの存在意義がないとまで思っている
相談者へのアプローチ方法は様々
日々勉強して実践してカウンセラー自身が成長していく必要がある

カウンセラーも自由な気づきを得ていかなければ、自分の施術に固執してしまうような人だと相談者を今いる地獄から新しい地獄に送り込むことしか出来ないだろう

一番危険なのはコーティング
下手すると悩みを大きくする
相談者の成長を阻害してしまう

それにコーティングする人は、自分の方法論に固執している人が多いような気がする
(偏見)

ちなみにコーチングは自分の意見を押しつけるのではなく、方法を提示して相談者が行うかどうかを判断してもらうようにしないといけない
従って、心が弱り切っている人にイキナリコーチングする人は正気の沙汰ではないとまで思う

カウンセラーはあくまで相談者が気づき自分で悩みを上書きして前に進むように見守り、寄り添い、時には考え方が色々あることを示す、そんな存在でいることが理想だと今の地点では考えている

ヒプノセラピーも同じだと考えている
まずは悩みを聞き、気づきを得るために施術する
日本ではカウンセリングは敷居が高く、ヒプノは余りメジャーではないのかなと思う

でもヒプノの方が敷居はずっと低いのではないだろうか?
余りに深い悩みには繰り返し行うこともカウンセリングと同じ
ヒプノのアプローチは催眠誘導
施術者とともに相談者が心の旅をする
ここがカウンセリングとの大きな違い

どちらにせよ施術者との信頼関係(ラポール)は非常に大事なのは同じである
日々勉強が必要なのも同じ

心の問題を追体験させてしまう分、カウンセリングはきつく感じてしまうかも知れない
要は心の上書きが旨く出来ればいい

記憶が消せなくても感じかたが違えば、ただの記憶になる
そうすることがカウンセラーとセラピストの使命だと思う

 

 

私という人はセワヤキ+キッチリ+イキナリタイプの人です

いきなりなんのこっちゃですが、遺伝子気質の分析セミナーに参加させて頂きました。
それによると私は人のお世話を焼くことで幸せを感じる人のようです。
そして、事に当たってはキッチリと進めるタイプだそうです。
そして最後のイキナリは簡単に言うと物事に対して挑戦する、好奇心の強いタイプとなるそうです。

お商売を一人でするにはイキナリ気質が必要とのこと。
なるほどと思いました。

たまには自分というものを客観的に分析できる機会があると大変ありがたいです。
そういう意味で、今回、セミナーへのお誘いをいただけたことはありがたかったです。

自分を分析するって面白いですね。
欠点が見えてきますし、当然修正する課題を得る事が出来ますし、占い師としては大変得がたい機会でした。

自分が安定していないと、納得出来る結果を導き出せませんから大切なことだと思います。
私は、衝動的なところがあるようで、ゆっくり考えた方が良い結果を出せるようです。
そう言った意味でじっくり吟味できるメール鑑定には向いているといえるかと思いますが、スピードを求められるオンライン鑑定はどちらかというと不得手なのだと改めて課題を得る事が出来ました。

とても有意義な時間を過ごせて楽しかったです。

講師:叶樹瑠光子(とうきるみこ)先生
メルマガ登録:https://form.os7.biz/f/dd37c16b/

ご興味を持たれた方は是非メルマガへ登録してみて下さい。

占い師を名乗る人は?

占い方を知っている人?
それはそうですが、それだけでは全く資質が足りていないと思います

占い師とは、占い方を知っているのは当たり前で、それでも最低ラインに足りていないのです
占い師を名乗るのなら最低でも以下の技術をお持ちでなければ資格がないと思っています
①占術に精通している(知っているだけじゃダメ)
②鑑定結果を正確に伝える技術を持っている
③鑑定結果の伝え方を知っている
④対策や予防方法を的確に提案できる
⑤自分軸と他人軸をしっかりと区別できる(自分ならどうするかばかりを話すことがない)
⑥境界線をしっかりと引ける(過度に同情、同調しない)

残念ながら①にも満たない人が占い師、占者を名乗っている場合が殆どです
仮に①を満たしていても②、③が欠けている人がなんと多い事か…
④に至っては全く伝えることができない占者が殆どといっていいでしょう
相談者様から見れば、全くの役立たずに近い状態です
仮に対策を話せても⑤の傾向が強く、自己主張ばかりする占者が多いようです
⑥は占者自身を守るのに必要な技術です
占者も人間です
過度の同調は、占者のメンタルに支障をきたしてしまいます
もっとも寄り添いの技術事態を知らない占者が多いのですが…

何故か④以降の技術を持っていない人が人気が高い傾向があります
相談者様が満足できているようで、実は依存状態になったりわかった気になったりしているだけなのですが、言葉のマジックにかかってしまって納得してしまうのではないかと思っています

また過度の同情により、この占者はわかってくれているという相談者様の錯覚によるものだともいえるのではないでしょうか?
①だけでは問題外で②、③の技術をお持ちでもアルバイトレベルではないかと思います。
何故なら、相談者様の問題が解決できていないからです
中途半端なのです
占い好きの人とレベルは変わらないでしょう

このレベルでお金を頂戴できるとはいえないのではないかと考えます
占い師ではない占い好きの人にもかかわらず報酬としては過度に高い額を請求され、なぜか相談者様も支払ってしまう
でも中途半端なので疑問が生じてしまう
また同じ占者に相談する
のループに陥ってしまう相談者様のなんと多い事か、、、

しかも同じ占者に依頼するのでまた中途半端な結果を伝えられるだけなので問題は解決しないという状況に陥るのです

大切なお金を払う価値があるでしょうか?
相談者様も冷静になってこの占者は信用できるか、占い好きの人ではなく本当に占い師かを見極める必要があるでしょう

この様に占者であっても占い師と呼ぶに足る人が少ないことは残念なことです
私は占い師としてありたいと上記のことを心掛けています
出来る限り相談者様にあった解決策をご提案いたします

気づきを得ていただけるよう工夫して鑑定結果をお伝えします
しかし、まだまだ未熟であるということは認めます
人間力がまだまだ足りないのです

人としての経験値が足りないのです
占いの勉強は占い方や占術の歴史を学ぶだけでは全く足りません
占者の人間としての経験値を上げることの方が重要といえるかもしれません

鑑定結果を丁寧に書いても相談者様が思ったような反応を示さないと怒っている人を見かけたことがあります
おそらく④ぐらいまでしかできていないのでしょう
問題が解決しないのですから不満が出て当たり前です
この様な人は他人に対して占いをすることをすぐにやめるべきでしょう

占者も相談者様も幸せになれないからです
未熟な占者ほどその傾向が高いでしょう
当たり前の話なのですが気づかないようです
ゆえに進歩がないのです

この様な人は占い師とは言えないと思いませんか?
人の相談にのる前に、自分を成長させなさいといいたいです

占いの勉強は人生の勉強といえます
それ故に一生勉強を続ける必要があると思っています
もっと先に、さらに先に、理想をもって、誇りをっもって、歩みを止めずに進んでいく

占い師は占い好きの人とは違い、はるかに目指すものが高いのです
圧倒的な人間力が必要なのです
そういった人を占い師というと思っています

自戒をこめて

占いには依存させてしまうことがあります

ご相談者様は、問題を解決するために意を決して占い師に悩みをお話しされます。
それもお金を払ってまでです。

それなのに占い師の話し方ひとつで、悩みが深まったり、疑心暗鬼に陥り、何度も占いに頼ってしまう占い依存という状態になってしまう方がいらっしゃいます。

個人的には、運のよくなる壺や訳の分からないお札を売りつけるのと変わらない占い師と思っています。

そう、鑑定結果に確たる根拠を示していないから、またこれからの心構えをきちんと伝えていないことが原因だからだと考えます。

こんな結果になりますよー、お相手はこう思ってますよー、ただそれだけを伝えてだからどうだということはご相談者任せ。

結果が結果でないといえるでしょう。
途中経過(?)のような鑑定結果をお渡しするから、ご相談者様はまた迷い苦しい思いをされてしまうわけです。

私としては絶対に避けたい事態です。
占いの本来の力が発揮できていないだけではなく、ご相談者様を迷わす、はっきりいって何もしないほうがましの状態です。

占い方を知っているだけの自称占い師にかかるとこのような事態に陥りやすいのではないでしょうか?

故意に依存するような鑑定をする占い屋もいるようです。
知識の乱用と悪用です。

商売としては依存させて何回もリピートしてもらうと儲かるから良いのでしょうね。
でも。。。と私は思うのです。

苦しみから別の苦しみへと送り続ける。
地獄から別の地獄に送り続けるこの行為は容認できません。

占いはそのようなことをするためのものではないです。
お金を、どんなに少額でもお金をいただく以上はプロの占い師であらねばなりません。

初心者だからという言い訳は通用しません。

占いは本来、副業程度の軽い気持ちで出来るものではないと思っています。
受ける側が真剣なのに、占う側がお気楽なのでは話になりません。

そのうえ、相談者様を依存させてしまうとなれば、たとえ意識していなくとも悪質極まりないと思うのです。

さて、依存させるような鑑定結果とはどのようなものでしょう。
それは、相談者様の意図をくみ取れ切れないまま占ったり、鑑定結果に条件がついたりするような場合ではないでしょうか?

意図がくみ取れていなければ結果自体ほぼ無意味です。
条件付きなら、条件が変わればどうなるかわからない状態になってしまいます。

相談者様の不安を煽ってしまうわけです。
結果だけを伝えるとその傾向は強くなるでしょう。

傾向だけ伝えて対策を伝えないのです。
どんなに丁寧に傾向を伝えても、相談者様の苦しみはとれません。

こんな占いは絶対避けたいです。
対策を講じられない人は、人を占ってはいけないように思っています。

すくなくとも、相談者様が対策を講じられる入り口まで示すことができなければ占い師とは言えないのではないと思っています。

ところで占いジプシーという占い依存の方がいるようです。
自分で依存状態になり、依存することで安心するのでしょうか?

この様な方はちょっとよくわからないですね。
自分で地獄から地獄を渡り歩く業を持った人としか言いようがありません。

こういった人は占いの結果を別の占いの結果と比べて答え合わせするそうです。
お金を大量に使って…なんて無意味なのでしょう。

本人の好きにすれば良いのですが、こういった人は本当は占いが必要ない人だと思います。

でも占いジプシーこそが占い依存の典型かもしれません。
ある意味自分を信じられない人なのでしょう。

占い師としては残念な人たちです。

そもそも占いとは何なのでしょう?

古くは亀甲占いなどから何世紀も続く占いってなんなのでしょう?
時代によっては最先端の科学でありもした占い。
未来予知技術。

未知の世界、出来事を恐れる権力者による道具であった時もあったようです。
そう占いは未知の世界を垣間見る技術なのかもしれません。

いろいろ理屈はつけていますが、後からつけた理屈ではないでしょうか?
陰陽五行しかり、カラバしかり、結局は未知の世界を垣間見る占い自体が未知の領域だから、既知の世界と結びつけるための方便なのかもしれません。

知っていれば面白いことかもしれませんが、そう考えれば中国の占術の理屈など実に意味のないただの理屈の塊なのかもしれません。

しかし、その理屈には深い洞察からついたものではあるのでしょう。
そのういうことを考察せずにただ覚えても全くの無意味なような気がします。

理屈をこねくり回して作られた思想の類似点を結びつけるのは面白いですが、所詮は類似点を見つける遊びなのように思います。

「占いは理屈じゃない」と思うわけです。

何世紀も過去の理屈が今の世の中でどの程度役に立つのか…
占星術のホロスコープが、2000年の時を経て実際の星空と違ってきていることは有名な話です。
星読みの根本であるホロスコープが実情を反映していないのです。

命占や相占は時を経てその実情が変わってしまっているのです。
古典主義にとらわれると現在では通用しない状態となっているわけです。
そのために研究家の方々は現在に会った解釈ができるように研究してくださっているのです。

変化しないものはありません。
変化しながら続いていくものはあるでしょうが、自然でさえ変わっていく中、古典にしがみ付くのは少し違うように思います。

卜占でさえ表れたシンボルの解釈を現在風に翻訳しないと役に立たないのです。
古典を知り、生い立ちを抑えることは重要ですが、そこから現在風に翻訳し直さないと有効性が大きく下がるものだと思います。

人々の知りたい未知の世界の内容、種類も変わってきているように思います。
未知を恐れる人の心から生まれた占いは、恐れるものが変化するにしたがって形を変えていくのでしょう。

そう、占いは様々な恐れから生まれたものではないかと思うのです。
変化する恐れに対するために占いの技術も変化させるのは必然でしょう。

ある意味、いたちごっこのようなものなのでしょう。
だからこそ、占いの勉強は一生続くものだと思うのです。

古典に固執することの無意味さを感じていただけたらと思います。

占いってスピリチュアル?

占いに霊感やスピリチュアル能力って必要なのでしょうか?
疑問を持った事ってありませんか。

これはあくまで私個人の考えですが、霊感もスピリチュアルな能力も必要ないと考えます。

タロットであれルーンであれ、本来展開方法すら自由で、作法などはありません。
必要なのは示されたシンボルであって、込められたメッセージを読み解く力です。

従って想像力と国語力は絶対に必要でしょう。
占術とはロジックであり、そこにあるのは純然たる技術です。

霊感やスピリチュアル要素はプラスアルファに過ぎないのです。
もっとも本当にプラスになっているのかは一考する必要がありますが・・・

霊感などで過去を言い当てられた、すでに起ったことを言われた、これはこれで素晴らしい才能だと思います。
しかし、だからいって将来を見通せているかと言われれば想像の範疇を超えてはいないように思うのです。

それは常に事態は変化しているという私の考えから来ています。
現状の問題点をしることで行動し、事態を変えているのに将来が変化しない訳がないと思うからです。

何もしなければ何も起らないでしょう。
第一何もしない人に希望する将来が手に入るとは思えません。

どーでもよい将来がやってくるだけです。
一瞬一瞬の判断、行動がすべて将来を変えていくと考えています。

まるで変えようのないような錯覚をもってしまう霊感やスピリチュアル要素はむしろ悪影響をもたらさないか不安を感じます。

もちろん、これは占者様によるでしょう。
能力だけに頼っていない「人間力」の高い方なら目指す将来への生き方を示して下さるのではないでしょうか?

ただ単に結果だけを示す占者様は、本当に将来が見えているのかという疑問が払拭できないです。
本当にこれは私の個人的な意見です。

なので霊感やスピリチュアル要素をつかった占いにどうしても疑問があります。
カードの意味もろくに理解していない霊感タロットの人も中にはいるそうです。
信じられますか?
霊感ではありませんがカードの意味を理解していない占者様に出会ったことがあります。
本当にいるのです、その様な方が。

そもそも業者が長くて2週間で養成する占者ってどうでしょう。
申し訳ありませんがうさんくさくて仕方がないです。
技術の習得には時間が必要です。
これはどんなことにもいえます。

占いの技術も同様のことがいえるのです。
2.3回の講習でタロットが習得できる・・・そんな訳がないのです。

どんな占術も短くても数ヶ月は修行する必要があります。
修行する要素が沢山あるのです。
中には10年修行が必要な占術もあります。

要領よくポイントをおさえて・・・などと歌っている人がいますが、結局はその講師の考え方に凝り固まることであり、できあがった占いが出来るようになった人は、その講師の劣化版にすぎないと考えます。

連々と伝えられてきた技術や工夫がすべて伝えられているとは思えません。
お金を稼ぐだけに占いをするなんちゃって占い屋さんが量産されるだけです。

どの占術にも過去から研究されてきた膨大な技術や智恵が詰め込まれています。
霊感やスピリチュアルはなくても本来機能するモノなのだと考えます。

霊感やスピリチュアルを盲信されるのはいいですが、霊感やスピリチュアルほど本物をみつけるのは難しいということを忘れてはいけないでしょう。

本物の占い師を見つけることがまず難しいのですから、本当に信頼に足る「特殊能力」付の本物の占い師とほいほいと出会えるなんて考えられません。

いいカモにされないように注意して下さい。

占いの技術には霊感があることが前提ではありません。
スピリチュアル要素があることは前提ではありません。

占いとは別物だと考えるべきでしょう。
占いを求め得るのか、霊感を求めるのか。人によって様々でしょう。
しかし、両方をいっぺんに求めるのは、ある意味無謀でありおろかです。

占いを受ける方も、もっと冷静に相手を選ぶ必要があります。
一時の安心を買っているのならご自由になされば良いと思いますが。

占術はいまも研究され続けています。
それが、進化なのか退化なのか私にはわかりません。

私は先人の智恵をお借りしているに過ぎないです。
私の占いに霊感やスピリチュアル要素は入っていません。

必要ないと思っています。
プラスアルファを付けるより、過去からの智恵を貪欲に吸収することを優先しています。

私個人の見解としては占いに霊感やスピリチュアル要素は必要ないと考えます。
そのような不確かなモノに頼らず、もっと「人間力」を鍛えて、せめてカードの意味ぐらい正確に捉えられるようになってほしいものです。

自戒を込めて

占いは目的ではなく手段です

占いを受けることは目的ではありません
問題解決のための手段なのです

そのことを勘違いしてしまうと依存が生じてしまいます
占いを受けることが目的となり、問題解決が二の次となってしまうのです

占いはあくまで問題解決の手段であり、いろいろある方法のひとつなのです
受ける方はもちろん占者も忘れてはいけない大切なことです

特に占者はしっかりと認識しておく必要があります
手段である以上、たんなる言葉遊びで鑑定結果を終わらせてはいけません

結果だけを伝えるのは意味がないということです
相談者様のお悩み解決の手段なのですから、解決に向かう手がかり、気づきを得ていただくことが大切なのです

占者様はよくよく胸の奥にこのことを刻みつけておくべきでしょう
もっとも占いを娯楽と考えている相談者(?)、占者には必要ないでしょうけども・・・

娯楽と考えることは悪いことではないと思っています
現状、大半の占い師を名乗る方は占いを娯楽と考えているか、娯楽レベルの鑑定士しかしていないのが実情です

アルバイト感覚で副業感覚は本来出来るものではないのですが、「お手軽に出来る副業」と捉えているなんちゃってさんがおおぜいいて、意味のない言葉が飛び交っている現状は憂いを感じます

またそんなひとを多く抱えるサイトに嫌悪を感じてしまいます
最初からこれは娯楽ですよと歌っているのならともかく、問題解決になどとそれらしい言葉で「客」を誘う
詐欺ですね

占わせることを目的化させているこういった業者の占者に依頼すると、何の解決にもならない言葉遊びの回答が返ってくるのは目に見えています

本来、占いは目的解決のための手段です
本気で問題を解決したい方は本物の占者を探す必要があります

でもなんちゃって占い屋がうじゃうじゃわいている現状では出会いは難しいでしょう
悲しいことです

どうかはき違えないで下さい
特に占者は厳しく自戒して下さい
初心者だからという言い訳は通用しません
あなたの一言が他人の人生を大きく変えることがあるのです

そのことを胸に刻んで下さい

自戒をこめて

占いが好きで占術を覚えたとき

好きな占術を覚えて、一通り占えるようになると武者修行みたいに沢山の人に対して自分が蓄積した知識を試そうとされる方が多いと思います

確かにそれは習熟するためには避け通れない大切なことだと思います
多くの初心者と自認される方々は、様々なお悩みにどれだけ結果を示せるかを重要視されて腕試しをされる方もいらっしゃるのではないでしょうか?

結果だけを示すのは私の考えでは、占いの半分にしかすぎないのですがそれでも大きな勉強になります

数をこなすと言うことは大変意義があると思います
ある程度、数をこなすと今度は人に知識を切り売りされる方もいらっしゃるようです

講師となる訳です
人に教えることで新たな発見や思いもしなかった疑問に出会い、また深く習熟することが出来るでしょう

しかし、それだけでは実は大切な観点が欠けているのです
それは、占ってもらう側の視点に立つと言うことです

占ってもらう側の視点がない人は残念ながら鑑定結果を伝えることだけに注目しがちです
鑑定文や伝え方に工夫をされる方もいますが、結局は鑑定結果を伝えているだけになります

もったいない話です
占ってもらう側の視点がないために、相手が知りたいことの本質が見えないのです
また表現方法によって、鑑定結果の印象がどのように持たれるのか、なにが知りたいのかが想像できないのです

そのような占者に占ってもらった人は、一時は満足しても当然のように疑問をもちます
結果に対してどうすれば、どう行動すれば、どう認識すればいいのだろうと

お金をもらっていない趣味レベルの場合は、まだ許されるかもしれません。
しかし、少額でもお金を受け取っている場合は、鑑定結果が不十分であることは大変問題があると知るべきでしょう

これでは、占い方を知っているだけの人、多少作文の出来る人、口の上手い人です
鑑定結果を伝えるだけと決めている人も含めて、これでは半分の出来でしかないと言わざる負えないでしょう

占い師とはとても名乗れないレベルと考えます
占いが完結していない状態で終わらせてお金をとるなどもってのほかではないでしょうか?

占い方法の勉強には、占術を学ぶことの他に、占ってもらう人の気持ちを知るために、自分も占ってもらうことがとても大切ではないかと思います

相互鑑定などはとても良い勉強になるでしょう
占ってもらう側になったとき、タロットなどのカードならどのようなカードが出たのかを聞けるのなら聞いて観ると良いでしょう

鑑定結果に対する疑問と共に、解釈の勉強になるからです
どのような占術でも結果はあるはずなので写真などで見せてもらうのも良いでしょう

相互鑑定ならお願いしやすいのではないでしょうか?
占術を習熟するには、占術のことを学ぶと共に、占ってもらう側の視点を得ることが重要なことだと思います

それも目的意識をもって鑑定結果を見ることが必要でしょう
ただ漠然と鑑定してもらうだけでは、残念ながら意味がありません

人に伝える前に、まず自分ならこの場合は「ここが気になる」という視点をしっかりと認識することが大切だと思います

占者はあまり人に占ってもらう機会がないでしょうけど、占ってもらうことにも投資することが大切だと言うことを理解されると良いでしょう

そのとき、どのような人になら占って欲しいかを検討するでしょうから、そのことも参考になるでしょう
すべてに目的意識を持つことで、実に多くのことが学べるのです

占いでお金を頂くことを考えているひとは、最低限、占術と占ってもらう視点をもつことが必要です

結果だけでは依存を生む可能性があります
それは未熟な証拠だと占者は認識するべきでしょう

占い方を知っている人と占い師の差はそこにあると思います

占いの形式について

いまやオンラインによる占いが全盛です。
電話占いやチャット占いのようなリアルタイムな占いの形式が当たり前のように受け入れられています。

しかし、少し前はメール占いが全盛でした。
この2つの占いは、それ以前と全く違った形式なのをご存じですか?

占いと言ったら、対面占いが常識だったのです。
実際に占い師と一緒の空間にいて、時間を共有する。
そうでない占いは信用がおけないという人が大半だったのです。

流石にアプリによる定型文の結果の占いが主流になって行くとは思いませんが、ひょっとしたらそのお手軽度から主流になるかも知れません。

その場合はAIが搭載されるのではないでしょうか?
でも人の運命を機械が予測するような感じになりそうで味気なく思います。

占いはやはり人と人が向き合って行うモノだと思うのです。
オンラインとはいえ、相談者様と占者は繋がります。

最低限、それは必要なように思うのです。
この考えもいずれは人の意地と思われるようになるのでしょうか?

人の生活が変わるにつれ、社会のインフラが変わるにつれ占いの形態も変わるのでしょうね。

さて今、Zoomを使った占いが少しずつ世に出ています。
対面鑑定のように占い師と向き合って行う占いに回帰するのかも知れません。

占いは人の運命を観るモノですので、やはり占い師と相談者様が向かい合うことは最低限必要かなと思います。

AIで選択された未来・・・確立の世界では無いと思うのです。
この考えも古いと言われる時がきそうで怖いです。

タロットやオラクル、ルーン、占星術、数秘術など、人は未知の世界に向かって将来を見通す術を磨いてきました。
ロジックさえあれば機械的にできても不思議はないでしょう。

でも、それだけでいいのでしょうか?
占いは結果だけが重要ではないと思います。

占い師と相談者様の信頼関係を結ぶための会話にも大変意味があると思うのです。
そして、相談者だけのために提示するアドバイスなどに意味があると思うのです。

人と人のやりとりの中から運命を変える智恵を求める
占い師はそんな存在だと思うのです

 

占いはなぜ当たるのか?

という題名の本が、占星術の大家であり人気占い師の鏡氏が執筆しております。

なるほど、なぜ当たるのでしょうね・・・
私は占いは当て物じゃないと思ってはいるのですが、なぜ事実を表面化できるのかという理由を考えたことはありませんでした。

あえて言うなら、占いが見えない世界を見通せることは当然であるとさえ思っています。
でも、その理由は・・・はっきりいってわかりません。
占術はそういう物だという認識ですし、そういう物しか今の世に残っていないと思っています。

精神世界や現在の状況から将来にわたる状態を知ることは、人が集団化して勢力を持ったときから続く人を統治する、そして権力を維持するための重要事項で大きな力です。

太古において占術は科学であり、最重要機密であったそうです。
そう、占いは個人という単位で利用されていたのではなく国家として利用されていたのです。
将来を見通し、集団を維持するため、そしてその集団を支配し続けるため。

そのために先人たちは研鑽し苦労をかさねて占術を体系立てていき成立させて言ったのです。
現在も、国家的時間という「千年単位」ではなく個人的時間という「短い」時間を見通すために多くの方が研究されています。
凡才のみとしてはありがたく頭が下がります。

さて、その様な方々は、なぜ当たるのかという理由を考えているのでしょうか?
興味のあるところです。

大前提として占いは当たることから、この問いは発せられています。
まず当たらないとなにもかも意味を成しませんので。

占術者は将来を見通せて当然の技術を持つ人だというのが私の認識です。
見通せなければ正しい対策を立てられない、国なら滅亡、権力者はその権力、財力を失うことになります。
個人なら人生を狂わせてしまうかも知れないということが考えられます。

なぜ当たるのか?
なぜなのか凡才の身としては恥ずかしながら答えを持っていません。
まったくもって謎ですね・・・

さて冒頭で私は占いが当て物ではないといいました。
当てるだけでは全く意味がないと思っているからです。

当てるだけで、問題は解決しますか?
当てるだけで、悩みは晴れますか?

占い師は、当て物屋の先にいる人だと思うのです。
現状を正しく見通すことは大前提となりますが、問題の解決に向かう方法を提示できたり、お悩みを解決する考え方、方法を提示したりできてはじめて占い師といえると思っています。

占術はそこまで出来ると考えています。
占い師はそこまで出来る人だと思っています。

当てるだけの人は、失礼ながら本当の意味での占い師ではないと思っています。
広義では占い師といっていいと思いますが。
もう一歩先にいるのが占い師だと思うのです。

太古において占い師は科学者でした。
科学者である以上、対策を立てられなければ何の役にも立ちません。

だから思うのです。
今の自分を言い当てられたところで、それがどうしたと。
そんなことは当人が一番わかっているのですから。
問題を解決する方法を悩んでいるのだと。

人それぞれですが、当て物屋に大金を使う気にはなりません。
占いで一番意味があるのは運命に立ち向かうための智恵やアドバイスや考え方なのだと思うからです。

私はまだまだ未熟だと思います。
しかし占い師を名乗る以上は将来、つまり運命に立ち向かう力となりたいと考えています。

そのような鑑定結果をご提示出来ればと、努力をしております。
表題から話がかなりそれちゃいましたね。

しかし、なぜ当たるのでしょうね?