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そもそも占いとは何なのでしょう?

古くは亀甲占いなどから何世紀も続く占いってなんなのでしょう?
時代によっては最先端の科学でありもした占い。
未来予知技術。

未知の世界、出来事を恐れる権力者による道具であった時もあったようです。
そう占いは未知の世界を垣間見る技術なのかもしれません。

いろいろ理屈はつけていますが、後からつけた理屈ではないでしょうか?
陰陽五行しかり、カラバしかり、結局は未知の世界を垣間見る占い自体が未知の領域だから、既知の世界と結びつけるための方便なのかもしれません。

知っていれば面白いことかもしれませんが、そう考えれば中国の占術の理屈など実に意味のないただの理屈の塊なのかもしれません。

しかし、その理屈には深い洞察からついたものではあるのでしょう。
そのういうことを考察せずにただ覚えても全くの無意味なような気がします。

理屈をこねくり回して作られた思想の類似点を結びつけるのは面白いですが、所詮は類似点を見つける遊びなのように思います。

「占いは理屈じゃない」と思うわけです。

何世紀も過去の理屈が今の世の中でどの程度役に立つのか…
占星術のホロスコープが、2000年の時を経て実際の星空と違ってきていることは有名な話です。
星読みの根本であるホロスコープが実情を反映していないのです。

命占や相占は時を経てその実情が変わってしまっているのです。
古典主義にとらわれると現在では通用しない状態となっているわけです。
そのために研究家の方々は現在に会った解釈ができるように研究してくださっているのです。

変化しないものはありません。
変化しながら続いていくものはあるでしょうが、自然でさえ変わっていく中、古典にしがみ付くのは少し違うように思います。

卜占でさえ表れたシンボルの解釈を現在風に翻訳しないと役に立たないのです。
古典を知り、生い立ちを抑えることは重要ですが、そこから現在風に翻訳し直さないと有効性が大きく下がるものだと思います。

人々の知りたい未知の世界の内容、種類も変わってきているように思います。
未知を恐れる人の心から生まれた占いは、恐れるものが変化するにしたがって形を変えていくのでしょう。

そう、占いは様々な恐れから生まれたものではないかと思うのです。
変化する恐れに対するために占いの技術も変化させるのは必然でしょう。

ある意味、いたちごっこのようなものなのでしょう。
だからこそ、占いの勉強は一生続くものだと思うのです。

古典に固執することの無意味さを感じていただけたらと思います。